2012年12月20日木曜日

季節の音楽がどんどんと…


こんにちは。千葉です。

昨晩(というか本日の未明)に放送された「読響シンフォニックライブ」、なんでもカンブルランの指揮でストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」だということなので、録画してみたらあれなんですね、時間的に問題のない曲なら「CMなしで一曲まるまる放送」してるんですね!カンブルラン得意の20世紀音楽ならそんな曲ばかりですから、もしかするとちゃんと演奏が聴けるかも、と好感したのであとでしっかり見てみようと思います、長身なのに上半身をかわいく左右に動かすカンブルランの指揮を(笑)。

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さて。先日の衆議院議員選挙(個人的には「クリスマス選挙」だったのか、と思っていますがその話はまた別途)の結果を見たら、シベリウスを聴くモードからショスタコーヴィチを聴くモードにさらっと移行してしまいました。寒さがね、ちょっとより酷くなったような。または某戦車道アニメの影響を受けた、のかなあ…あ、シベリウスの交響曲についてまとめるのは続けてますよ、ご心配なく(そんな人、いないか)。

にしても困ったなあ…あたしゃ馬鹿正直が売りですからね、二重言語を命までは危険に晒さないギリギリのところで使い分けたDSCHにシビれるあこがれるゥ!とは思いますが、自分がそういう状況でどうするかは考えていなかったなあ…

え?考えすぎ?だと良いですね、そう期待できたらいいんですけど。

こっち向きのお題じゃないけど書いておきます。米国との同盟が大事、とは言うけれど日本は未だに米国民主党側との強いつながりがない。日本の民主党政権下でも、「日本通」としてメディアに登場していた人たちは少なくなくブッシュ時代から変わらない面々、つまり共和党とのつながりが指摘される人物中心なんですね。ジョセフ・ナイは数少ない例外で、ジェラルド・カーティスやマイケル・グリーン、そしてリチャード・アーミテージあたりはもう、完全に色がついてます。そんな人達が現在のオバマ政権に影響力、あると思いますか?まさか。
合衆国ではリベラルよりの民主党オバマ政権、一方日本の次なる政権は新自由主義に染まったかに見える復古的国家主義的政権です、それもジョージ・ブッシュJrの時代の「パートナー」の復帰。この関係に「ねじれ」を見ないで無邪気に「日米同盟が大事!」とか、いくら言っても意味がないと思うんです、正直なところ。

仮に米国とうまくやっていけるとするならば、…ってこれ以上はさすがにこっちだと踏み込みすぎですね。また別途向こうに書くことにします。率直に言って、自民党が思っているような大事な「アメリカとの関係」ってのは、夢か何かなんじゃないかなあ、って思うんですけど。

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まあ、いろいろと思うわけですが、まずはこの衝動に身を任せてショスタコーヴィチでも聴きますかな、と思った時にまず頭に浮かんだのは、この二人の録音でした。


Georg Solti/ショスタコーヴィチ: 交響曲集<タワーレコード限定> [PROC-1055]

Eugene Ormandy/The Philadelphia Orchestra/オーマンディ・コンダクツ・ショスタコーヴィチ [SICC-1590]


お二人とも時代の流れのままにハンガリーからアメリカへと活躍の場を移した20世紀を代表するマエストロですね。存命中に日本で十分に評価されていたようには思えないところがあるのですが、千葉はお二人とも尊敬しておりますよ。

でもショルティの方は考えてみたらまだ買い直していなかったので(おい)、オーマンディの盤を取り出してみました。千葉の手元にあるのは米国SONYの廉価盤、Essential Classicsのものなので、残念ながら上の商品にある交響曲第一番、そしてバレエ音楽「黄金時代」からのポルカは聴けていないのですが。

他にもBMGの第一三から一五番までもあるし、何を聴こうかねえ…と思ってなんとなく選んだのが第一〇番。これがねえ、本当に力のあるオーケストラにしかできないコントロールされたサウンド、そして指揮者の見事な統率。素晴らしい。振幅も大きいのだけれど、技術的にゆるぎがないので演奏の安定感が強い、だから変な緊張感などは皆無。オーケストラ音楽たるものかくあるべし、と自信を持って語り得ただろう20世紀のオーケストラのひとつの理想像ですね、やはり。それがいささか虚構的なものであるとしても。

米国の団体の場合、どうしても歴史と伝統で泊を付けられないものだから、故なく低めに評される事が日本では多いように思うのだけれど(そこで活躍したマエストロたちともども。もったいないことです)、大戦争の影響で数多くの音楽家は新大陸へ移住していたから20世紀初頭の伝統がある意味で「口伝」されている可能性があること、なにより歴史を振り返ればグスタフ・マーラーもまたニューヨークの音楽家ではあることなど、考えましょうよう。彼らが音楽史の中でメインストリームだ、とまでは申しませんが、冷戦構造の中で欧州から離れたところで純粋培養をされたかのような側面のあるアメリカのオーケストラ、そういう前提をもって捉え直されるべき時期ではないかなと感じる今日この頃であります。

聴き終わってその演奏の見事さに感心して、なんとなく検索をかけてみたらこのような記事に行き当たりまして。よく見たら外来オーケストラの公演情報を資料化されている阿伊沢萬さまのところでした、昔はよく拝見させていただいておりました!

なんでも、第一〇番の録音について「この曲の録音を開始する6日前にキング牧師暗殺事件がおきました」(引用終わり)とあるんです。確認したところ、キング牧師の殺害は1968年4月4日、この録音は10日から18日とクレジットされてます。なるほど、彼にはこういう独特なめぐり合わせがおおいのかなあ…メインストリームにいた、しかし亡命者というのはある意味で政治色を薄められますからね、ってのは何かの話に似ているな…それにしてもセッション録音で9日もかけたのかしら?(さすがにそこまではやらないか)

まあ、そういうことは余談ですから、まずはぜひオーマンディのショスタコーヴィチ、聴いてみてくださいな。その上で、めぐり合わせや果たしてしまった役割を考えるべき、かと。
それにしてもですよ、彼らの演奏を聴けば聴くほど思います。全盛期の実演を聴いておきながら彼らの演奏を軽々に否定しちゃった当時の批評家、呪われるべき、と(笑)。

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最後に余談を。ソニーというより当時のコロンビア、オーマンディにセルにバーンスタインを擁する豪華ラインナップだったわけですけれど、なんでも一番の売れっ子はオーマンディ&フィラデルフィアだったとか。ふむう、エスタブリッシュメント層にはこの正統派感がよかったのかしらん、などと思わなくもありません。
でね、だから、というわけじゃないんだけど。ニクソンのお気に入りだったから、って簡単に悪役にして欲しくはなかったな、手塚先生!とか思ったりもいたしました、バーンスタインを評価したことも、ニクソンが嫌われ者だったことも分かるんですけど!と別の話を振ってしかし逃げるんだよォ!(笑)、ではまた。

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