2012年12月24日月曜日
わたしのク・リ・ス・マ・ス(はあと)
こんにちは。千葉です。
えっと、今日は休日なんでしたっけ?そういえば今上陛下のお誕生日を呪う意味合いで占領軍は戦犯の死刑をどうのこうの、って本を書いた人がいましたね、今どうしてるのかしら…え?都知事に以下略。
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まあ、いいでしょう。風潮に文句をいうのは飽きました。好きなだけ好きなときに好きなところで考えなしにその断片を流すがいい、「第九」を「くるみ割り人形」を「メサイア」を、そしてヴェルディのレクイエムを!
いややっぱり最後のは認めないわ(断言)。ってか、他のも許す気にはなれないし。せめて少しは考えて使えっての。ぶつぶつ。
やっぱり思うんだよう、脈絡なく突然に、そういう大事な曲の断片を聴きたいとは思わないんだよう。特にも、時代が変な曲がり角に来ていると感じられるいま、ベートーヴェンもヘンデルもショスタコーヴィチ編曲版か何かのように、どうにも皮肉に感じられてしまうから、本当に厭なんだよう。どうせなら意図的な悪意のひとつも込めてくれよ、無邪気に歌われるアイロニカルな祝祭の歌とか、どっかの映画の中だけにしてくれよ…
あのう、ちょっと余談なのですが別途書きますがここでサワリだけ。「右左」で物事を語るのはやめたほうがいいと思いますよ?ショスタコーヴィチはソヴィエトだから左じゃん、こいつサヨク?とか、本気で口走る前に少しは考えましょうよ、その含意を。
まあいいや、定番の音楽はいまいち、ではいま何を聴くのか?といえば、この数年の定番の大槻ケンヂと絶望少女たち「かくれんぼか鬼ごっこよ」(原作が完結して、また前とは違う趣が感じられます。特にもお目当ての曲、「無神論者が聖夜に」はもう…)、オネゲルの「カンタータ・ドゥ・ノエル」(記事の最後にYouTubeの動画貼っときます)、そして先日書いたベルリオーズ「キリストの幼時」ですかしら。
今年は本当に思うんです、キリストの生誕の時になぞらえてもいい、まずい時なのではないかな、と。まあ、危機がひとつの極みに届くところにあったから、世界に強い原理をもたらす強い救世主が求められてしまったと思われる紀元前4年(とされるその時)と比べるのはもちろん、ほんの戯れですけど。そう、クリスマスは「救世主の誕生によって最悪の危機を乗り越えた」ことを持って寿がれるものかと。無前提に多幸感に酔えるほど、いまはいい時ではございますまい。人によっては先日の選挙でそのような心地になれたのかもしれませんけれど、千葉は無理です。はっきり言って、今まで生きてきた中で一番信用のおけない政治状況だと思います。その辺は向こうのブログにちょくちょく書いてますので、興味がある方はそちらでどうぞ。
別にいいんですよ、日本的なクリスマス&年末の開放感をこめて第九でこの上ない喜びを歌おうとも、「くるみ割り人形」が描く通過儀礼のドラマにまた一つ過ぎ行くゆく年を感じても。ああ、でもキリストの生涯を見る過程抜きで「メサイア」を、そのハレルヤを喜ぶのは、どうなんでしょうね、(笑)。
受容は人それぞれだから強要や苦言はしない、でもいま挙げたような名曲が、どうしようもなく効果音扱いされているのを見るのは、正直に言って辛い。なにもミラン・クンデラに言われなくとも、本来の作品から切り離された部分を問答無用で聴かされても、なんとも言いようがないですし。
ごく稀に、映像とのシンクロで独特の面白さを作れているものがあるにしても、そんなものは昨今のテレビCMなどには望むべくもない。そのCMがセールのお知らせだったりするのだから当然だけど…
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ということで、我は如何にしても基督教徒たりえず、されど斯くも芳しからざる心情にならざるをえない12月の、テレビから見える音楽状況でありました。その辺考えると、個人的には多すぎるように感じるベートーヴェンの交響曲第九番のコンサートも、いわゆるクリスマスコンサートもまだ、マシなのかなあ…
というけっきょくは現実を否定しきれない結論にたどり着いても、それでも個人的には先ほどあげたような曲を聴きますわ。あとシベリウス、ショスタコーヴィチなどなど…いつもどおりの選曲ですね、それにこちらの曲でも追加しておきましょう。
ではまた、メリー・クリスマス&良いお年を!(年内更新はまだしますけど、お決まりってことで)
上に貼ったリンクはMP3のもので、なぜかカラヤン&BPhの交響曲第三番「典礼風」とカップリングになっている、という。いろいろと心配にならなくもないのですが、「カンタータ・ドゥ・ノエル」だけならこちらでお試しいただけます。この投稿者の方、やたらオネゲル作品をアップロードされてるようだけれど、何者かしら…
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