2012年4月26日木曜日

できれば、ライヴか映像でお願いしたい、かも(笑)


こんにちは。千葉です。

これからは音楽の、特にクラシック音楽関係の本についての感想はこっちに書きます。その方がまあ、資料的なものとかあとで探しやすいもので、かってながらそのようにいたします、ご了承のほど。

ということで読み終わった本です。




先日東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の音楽監督に就任披露公演を無事成功させた宮本文昭さんの、ひと癖ある名曲紹介です。モーツァルト、ベートーヴェンからマーラーにリムスキー=コルサコフと基本的に19世紀もの中心に選曲されています。ある曲は既に指揮したもの、ある曲はこれからの目標のように考えているもの、などなど。

まあそこまでなら類書も多くございましょう、しかし本書が独特なのは選曲ではなくその文体、というか、語り口です。これがですね、説明や解説というよりはほとんど語りそのもの、目の前で宮本さんがお話しされているような、そういう文体なんです。筒井康隆や山下洋輔的な饒舌ではなく、一人の音楽家が本当に好きな作品の魅力を伝えようとしてこれでもかと言葉を繰り出してくるような感じ、というと伝わりますかしら。ええ、本人も自覚されているようなんですが、ちょっとくどいほどに熱心に語ってくださいます(笑)。
曲ごとに趣向を変えつつ音楽の魅力を伝えよう、伝わるように話そうとされているのがよくわかる、ある意味で非常に熱い語りになっております。これ、映像で収録して名曲探偵アマデウスの後継番組とか某番組の代わりとかに使った方が、いいと思うんだけどなあ。そうだクラシカ・ジャパンとかどうですか、東京シティフィルと組んでレクチャー・コンサートのシリーズを立ち上げれば現代日本版ヤング・ピープルズ・コンサートが作れちゃいますよ?(笑)

先ほど書いた通り、指揮者としての宮本文昭さんはまだこれらの作品を演奏していなかったりします。例えばマーラーの交響曲第九番、またブルックナーの交響曲第八番を、それぞれに「なるほど」と思わせてくれる理由で。そう、指揮者としては失礼ながら駆け出しとも言えてしまう宮本文昭さんは「ひと通りのレパートリーは抑えましたキリッ」みたいなことは、残念ながらありません。解説も本業ではないし学問的見地で新説を紹介してどうこう、ということもない。では本書に説得力がないかと言えばさにあらず。なにせ宮本文昭にはドイツを中心に活躍したかつての名オーボイストの顔もあるわけで。それも、まだまだ演奏家として活躍できるだけの力があるのに、音楽家として充実した時期に自ら指揮者への転業を望んで引退したほどの。オーボエ奏者としての長年の多彩な活動に裏打ちされた語りは、失礼ながらちょっと俗説よりな部分を感じさせてしまう「大型新人」指揮者としての語りとは比べようもないほどの説得力です。特にもマーラーの交響曲において、如何に無意識・無前提にウィンナ・オーボエが想定されているか=フレンチ・スタイルでは如何に演奏が大変か(笑)というくだり、大いに納得です。ちょっとそれを意識して録音を聴き比べようかと思いますもの、例えばそう、ラトルによるウィーン・フィルとのもの、ベルリン・フィルとのものとか(ウィーンと他のオケでこの曲を録音しているマエストロ、ほとんどいませんね、考えてみると)。興味のある方は該当のP.225からのところだけでもご一読あれ、千葉には大いに説得的でありました(実は他の部分は、「大地の歌にはいろいろあって九番をつけなくて~」など、ちょっと俗説が健在でいらっしゃいますので、オススメしにくくもあります。なお、ここで引用せずに曖昧な書き方をしたのはこれ以上俗説の流布に協力してやる義理を感じなかったからであり、それ以上の意味はありません)。

他にも、どこまでも宮本文昭個人のパーソナルなエピソードを語りつつその音楽を聴きたいと思わせてくれるモーツァルトの協奏交響曲 K.364の話など、なかなか読ませてくれます。

惜しむらくは、ですね。いきなり冒頭から飛ばしていらっしゃいますので(笑)、若干とっつきにくい感じがあるんですよ本書。宮本さんのテンションの高さを抑えた第一章があると、より読みやすかったかなと思ったりもいたしました。まあ、もしかするとこの初めからクライマックス、というテンションで語りが始まる構成がより本人に近いのかもげふんげふん(笑)。先日好評のなかスタートを切った東京シティフィルとの関係を測るうえで、本書で挙げられていた曲の扱いは一つのサインになる、かもですね。期待しましょう。

ということで感想はここまで。ではまた。




個人的には微妙に思えていたイージーリスニング方面の活動も自らの糧として貪欲に成長されたオーボイスト宮本文昭に拍手を、そして前途ある有望な若手指揮者(笑)の前途に期待を。

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