2016年12月28日水曜日

読書メモ:「孤独な祝祭 佐々木忠次」

こんにちは。千葉です。

これは随時更新の上、最終的には別途評を書く予定の読書メモです。いろいろ途中経過感があると思いますので、その点お断りさせていただきます。



本書は日本舞台芸術振興会(略称NBS)及び東京バレエ団の創設者として、長年にわたり活躍された佐々木忠次氏の評伝です。

●序章
印象的な締め、この章の終わりまで読めば誰でも続きを読むだろう。千葉の世代であれば知った時点で功成し遂げた傑物、大立者として認識していただろう佐々木忠次氏の、生涯でも最高の舞台と称されるだろう東京バレエ団によるパリ・オペラ座公演のエピソードは、その文章で彼を知ってきた一聴衆として興味を大いに引くものだ。

●第一章
かつて仕事で伺ったこともある目黒の有名なあの建物をめぐるエピソードに得心したり笑わされたり。そういえば曽田正人先生の「昴」にも登場してますね、「殿堂」。
ここで語られる2003年のガラの時点ではまだ自分、東京での主催公演に伺えていないですね(地方公演でベジャール・バレエ団を見ていたから、それがファーストコンタクトということになるのだろうか)。NBSニュースに掲載されていたコラムには触れていたかな。

●第二章
生い立ちの章、就職するまで。
ここまで読んで、5月のフォルクスオーパーの記者会見で語られた「最初に彼が招聘しようとした団体だった」という、本書にも登場するたびたび高橋典夫氏のコメントが強く思い出される。しみじみ。

●第三章
佐々木氏の舞台監督時代、それは1955年から1961年まで。この時期はちょうど「三人の会」(1954-1962)の活躍に重なるものだから、結果的にクラシック音楽から知っている「その時代」への知識を裏打ちしてくれる、興味深い章ともなっている。そこに伝説的なイタリア歌劇団公演のエピソードも加わるのだから、ここだけでもクラシック音楽好きは読むべき(偉そう)。
イタリア歌劇団公演を契機に結成された「ザ・スタッフ・クラブ」のメンバーが今の目で見るととても豪華で、その若い才能の集まりが眩しく思える千葉である。おじさんだからなあもう…
この章では、東京バレエ学校をめぐる出来事も見逃せない。ここから読み取れる当時のソヴィエトの文化政策は興味深いし※、この学校の倒産から生まれるのが現在に至る東京バレエ団なので。
※ちなみに最初のレニングラード・フィル来日は1958年、同年からアルヴィド・ヤンソンスは東京交響楽団を指揮している。

●第四章
東京オリンピックを目前に控えた時期に誕生した東京バレエ団の最初期の話、1964-70年ころまで。ここまでの団体に育つと思っていただろうか、とも思える「放浪のバレエ団」の最初期は微笑ましくも相当の苦労が想像される。軌道に乗っていく過程にありながら国外での評価を確実に得ていったことは、今ならブランディングとか安い言葉に還元されてしまいかねないけれど愚直に感じられるほどに率直に真髄を求めた結果、本物志向(これも安い言葉だが)ゆえなるか。ベジャールとの関係の始まり、ソ連など当時の国情を想わせる交渉の話などなど、実に興味深い。
クラシックの側からは、この国の招聘公演を語る上で欠かせない(はず)の民主音楽協会との関係が興味深いのでは。

●第五章
もしかすると今なお、日本でより海外で評価されているのでは?と感じなくもない東京バレエ団の雄飛、成長、そして変化と、三年に一度の大イヴェントとして開催が続いている世界バレエフェスティバル(前回は2015年の第14回)およびベジャールとの本格的な出会いが重ね合わせられて語られる章。時期でいうと1973-1980年。
クラシックの人としては、やはりカルロス・クライバーの招聘(バイエルン国立歌劇場でしょおじいちゃん)に食いつかざるをえない。いくつかのムック本で読んだ、悪い意味で伝説的な記者会見のやり取り(Q「オペラ以外にも指揮するんですか?」A「たまにね」というやつ)がここでも触れられていますよ(実は今でも記者会見で質疑になるとこれを思い出すし、インタヴューとかするときにこういうことを言わないように、と割と固くなる方です)。

佐々木氏はどちらかといえば反時代的な方だと思うのだけれど、それでもその時代には否応なく拘束されざるをえないわけで。時代とは少し離れたところで美を追求した佐々木氏の生涯をたどる本書を読んでいても、否応なく冷戦のあの時代を想起させられることになる。この章はオイルショックからモスクワ・オリンピック西側ボイコットまで、というのも少し意識して再読してみてもいいかもしれない。
で、ですが。冷戦の終わり頃にようやく思想的に物心ついたような千葉の場合、冷戦は前景化されてはいたけれど現実のものとして学んだこと以上に、いくつかのマンガで知ったことが多いことに否応なく気付かされる章でもありました。たとえばですけど、ボリショイの話をされれば嫌でも山岸凉子先生の「アラベスク」を想起してしまいますって、第五章は亡命のエピソードで終わるのだからなおさら。ちなみに「アラベスク」の掲載時期は1971-1975年というのだから、作家の想像力というのも佐々木氏の実行力に負けず凄まじいものだなと感じ入りましたよ。

●第六章
念願かなってミラノ・スカラ座の招聘に成功、そして東京バレエ団は念願かなってパリ・オペラ座の舞台で大喝采を浴びる。これが序章で描かれた場面に続くわけですね。
カルロス・クライバーではなくプラシド・ドミンゴが理由で「オテロ」キャンセルの危機だったとか、なかなか外からではわからないものですねえ(笑)。この時の録音はいわゆる海賊版がございましてですね(以下自重)。個人的に意外に感じたのはクラウディオ・アバドについての言及があまりなかったことですね。ウィーン国立歌劇場、そしてミラノ・スカラ座と、80年代の引越し公演の中でもハイライトとなる公演に参加していたことを思えば、という個人的感触です。そしてスカラ座の招聘で民音との協業が終わり、NBSの時代がはじまる、と。ふむふむ。
そしてもう一つの焦点である東京バレエ団の、現在に至る活躍のなかで何があったのか、何を成し遂げてきたのか、その幾つもの頂点が描かれます。この続きは現在NBSを支える皆さまが作っていかれるのだなあ、としみじみ思わされました。

●第七章
この時期になって、ようやく同時代の人として認識するようになった私である。たしか図書館で見かけた「オペラ・チケットの値段」あたりが最初の出会いだと思う。この時点でも、その後に東京でチケットを売る仕事についてコンサートに行く機会が増えても、佐々木氏の印象は変わらずこの章のタイトル通り「怒りの人」だった。
本書を読み進めてこの章にたどり着くと、その印象がなんとも、知らぬこととは言えすべきではない相手に対して子供じみた反応を、迂闊にもしてしまったようなものだったことに否応なく気付かされて、言葉に詰まる。近年の文化行政は、おそらく大阪がその先鞭をつけた方向性で動いている。佐々木氏が健在であれば、などと口真似をするのではなく、自分自身の見解としてその動き、流れに対して意思表示をすることでしか、その無礼は雪げまい。

今年亡くなられた偉大な人々の列に並べ記憶されるべき、大きい存在だったのだと本書を読めば誰でも理解することだろう。(更新終了)

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