2016年12月30日金曜日

12月31日に「クラシック・ハイライト2016」放送

こんにちは。千葉です。

後いくつあるのかな…(だんだん疲れてまいりました←正直)

●クラシック・ハイライト2016

今年は自分にとって大きな区切りとなる訃報が二つも届いてしまって、それだけでこの一年の振り返りは終わりにしたいくらいです。いえ、演奏会などの振り返りは別途したいんですけどね。番組は見てみないとわからないので、ここではその話をします。

まずは1月に届いた、ピエール・ブーレーズの訃報。
その昔、吹奏楽で知ったドビュッシー作品をオーケストラの演奏で聴いたときから長いこと彼の実演が聴きたいと思っていて、その願いがかなったのは1995年のブーレーズ・フェスティバル、先輩が浮かせてしまったチケットを買い取って初サントリーホールに行ったときでしたよ。もう20年以上も前のことかと思うと気が遠くなります(はじめて聴いたニューフィルハーモニア管とのレコードはそれよりずっと前)。年寄りだぜ自分。
バーンスタインに深甚な影響を受けて、その後ブーレーズの歴史的、理論的アプローチを知ってこれまた大きく影響されて、著作も買い求めて読んでいましたよ、当時貧乏な吹奏楽大学生だった私。貧乏は今も変わらないけど。

その後2002年、2003年の来日は縁あって聴くことができました。2002年のロンドン響との数々の演奏は、ブーレーズの円熟と体力と、オーケストラの技量と指揮者への信頼(あと自分の理解と耳)が調和して、最高に楽しめたことを今も鮮明に思い出せます。
ただ、録音を追うことからはその後、少し遠ざかった部分があります。どこかでもう来日公演はないだろうな、とも感じていました。もちろん、TVなどで放送があれば喜んで観たし、気になる作品がリリースされれば買ってもいましたけれど(ヤナーチェクの「死者の家から」の映像はちょっと予想しない選択でしたね)。
報道がなくても、どこかで彼は引退が近いのかな、とも感じ始めていました。もう聴く機会はないかもしれないけれど、長生きしてくだされば、そんな風に感じていました。だから、彼の訃報は衝撃ではあったけれど、どこかで覚悟していたようにも思います。




そして3月に届いた、ニコラウス・アーノンクールの訃報。
私は誰かについてまともに学んだことがなかったので、教えたがりな世界的音楽家の皆さんには本当に助けていただきました。もう冗談も皮肉もなし、本当に助けられました。バーンスタイン、ブーレーズ、そしてアーノンクールの三人には本当に頭が上がらない思いです、直接教わったどころか、言葉をかわしたことがあるわけでもないのに。

彼の実演を聴く機会はもう晩年に近い2006年にようやく聴くことができただけです。それでも、彼の著作「音楽は対話である」(ソフトカバーのやつ)「古楽とは何か -言語としての音楽」は擦り切れるくらい持ち歩いて読み込みました。あの本を手に入れよう、読み込もうと何故決めたのかはもう曖昧な記憶の中ですが、あの本を読み込んだ時期がなければ今の私はいない。いや、もっとまともな人生もありえたかもしれないけど(言うな)、音楽をこういう風に楽しめるようになったのは先ほど名前を挙げた三人のおかげです。

彼の場合は、実演に触れられた時点でもう後振りに近いくらいのものだったから、指揮法でどうこうといった影響はもうありませんでした(もうアマチュア演奏者でもありませんでしたし)。ですが、書籍などと併せて彼の雄弁術そのものに認識を改められて、おかげさまでちゃんと聴くことができる音楽の時代が数百年ほど広がったことを、助けられたと言わずしてなんといたしましょうよ。




バーンスタインにコミュニケーションとしての音楽を教わって、ブーレーズに新しい音楽を、アーノンクールに古い音楽を教わって。彼らがその知見を言語化してくれたことによって得られたものは本当にたくさんあります。それなしに物書きさんなんてできやしませんですよほんと。
その恩をもらいっぱなしにしていていい歳でもない、物理的限界までは非力なりにできることをしてみるしかない。そう割り切るしかない時期が来てしまった、そう強く感じさせられる一年でした。細々と書いているものに何か意味があるのかとか、もう年だから考えていても仕方ないので、需要があるうちは生きていける範囲で書きます。

という自分の締めくくりで番組紹介とか酷い詐欺行為で申し訳ない限りではございますが(笑)、この記事はこれにておしまい。感想の更新はありません故ご容赦のほど。ごきげんよう。




※演奏の方は皆さまの思いでの一枚で偲んでいただければと存じますが、この二冊はできたら常識になっていてほしいです(誰の常識なのかと問うツッコミの声)

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