2017年2月10日金曜日

METライブビューイング2016-2017 「ナブッコ」

こんにちは。千葉です。オペラの劇場上映をご紹介。

●METライブビューイング2016-2017 「ナブッコ」



これから上映を見ますので、レビューはそれ以降となりますが、退任が決まっているジェームズ・レヴァインと、本来の声域とも言えるバリトン歌手として第二のキャリアを謳歌しているプラシド・ドミンゴの共演は貴重なものとなってしまいました。私と同世代のクラシック音楽ファンであれば、それこそ”定番のコンビネーション”として親しんできた彼らの共同作業が終わる日がそう遠くないうちに来ることに、多かれ少なかれ感慨があるのではないかと想像します。

幸い、昨年12月に上演された現地での公演評を見る限りではいい舞台になった模様ですから、まずは上映を楽しんでこようと思っております。スケジュールなどは公式サイトでご確認くださいませ

こんな動画もありましたので、興味のある方はぜひご覧ください。レーザーディスクや来日公演で親しんできた彼ら、こんなおじいさんになっておりました。長く楽しく生きてくださいますよう。



●レヴュー

ネブカドネザル二世による「バビロン捕囚」を元にしたオペラ「ナブッコ」(1842初演/展開は史実とは異なります)は、若きヴェルディの出世作。最後の作品「ファルスタッフ」まで喜劇オペラを封印したほどの苦杯をなめた「一日だけの王様(偽のスタニスラオ)」からの復活を、そしてイタリアのオペラを代表する作曲家へと彼を押し上げた史劇オペラには、彼の後の作品へとつながる要素が多く見いだせるまさに出発点です。生涯オペラ化を夢見た「リア王」を思わせる親子描写(二人の娘と老親の関係は、後に「リゴレット」でより突き詰められ、結果として「リア王」を断念させることになる)、合唱を活かした群像劇(「アイーダ」、そして「オテロ」で完成の域に届くそれの萌芽はこの作品にも見いだされる)、それになにより力強い音楽そのものが素晴らしい。有名すぎてときどきありがたみを忘れそうになる合唱曲「行け、想いよ、黄金の翼に乗って」の他にも聴きどころが多いし、なにより序曲からして素晴らしい。

イライジャ・モシンスキーの演出は、読み替えなど全くなしの直球勝負で実にこのオペラハウスらしいもの(いや、往年の、かな)。METの巨大な舞台(とおそらくはバジェット)を活かして複数面を持つ巨大なセットを中心に据え、回り舞台でヘブライの神殿とバビロニア王国の宮殿、そして牢屋を実物で示すのだから、豪華な衣装や合唱の人数(これ重要)と相まって映像的に楽しめます、それこそテクニカラーのその昔の史劇映画で見たような世界として。近年ではミュージカルの演出家によるポップな舞台や、前回のロベール・ルパージュのようなリアリズムとは違う手法も採られるMETですが、私の世代だとオットー・シェンクやフランコ・ゼッフィレッリの重たい舞台がこの劇場のイメージなもので、この舞台はしっくり来てしまいますね(笑)。

でもこの舞台について話すなら、とにかくプラシド・ドミンゴとジェイムズ・レヴァインについてでしょう。長年の共演の、ひとまずの区切りになるのだろうこの舞台、二人のキャリアの最終盤であることを否応なく感じさせられながらも、その確かな実力に感嘆させられた次第です。
ドミンゴは声域こそバリトンになってもあの声のままだし(笑)、真偽定かならぬ噂ではローレンス・オリヴィエが「俺みたいな演技しやがって、そのうえ歌うとかずるいだろう」なんて言ったとも言われる演技は衰えるわけもなく。はじめのうちはあの声なのに高い音域まで登らないことに違和感がなくはなかったけれど、今は第二のキャリアを楽しむドミンゴが健在であるだけで嬉しく思えます。彼の演技あればこそ、「リア王」に通じるヴェルディのドラマ作りが伝わろうというものですよ。
そして病の影響もあるのでしょう、レヴァインの動作自体は昔のようにはいかなくなっている、けれど最も多くこの劇場で指揮をしてきたマエストロであればこその呼吸の確かさは流石としか言いようもなく。序曲などで見られる部分的な傷などはインタヴューの中で彼が語っていたとおり気にしても仕方がない(かつての演奏と比べるのは残酷かもしれません、まとまりがよく切れのいい演奏が特色でしたから)、ドラマが動くあの感覚を今もなお持ち続けて、病を得てなお活躍されるレヴァインには頭を下げるしかないのです。
(願わくは、彼らの実演を長く聴かれた幸運な方々にはその魅力のほどをですね、多く言葉として残していただければな、と思う次第です。実演でしかわからない部分、いくら録音や映像収録が発達しても残るものと認識しておりますので、ぜひ…)

ドラマを動かす大きい役どころのアビガイッレを歌ったリュドミラ・モナスティルスカは幕間のインタヴューでこの役を難しくないと言ってしまえる余裕ある歌唱で聴かせましたし、イズマエーレのラッセル・トーマスは出番が限定された不思議な役どころ※ながらきっちり歌った印象です。フェネーナは明らかに劇中の役どころと出番のバランスが悪い変な役ではありながら、ジェイミー・バートンはきっちり出番をこなした。ザッカーリアのディミトリ・ペロセルスキーは声域が合っていなかったのが惜しまれるけれど(最低域が鳴らなかったのはどうにも…)、容姿がいいからいいのかな…(笑)

※「マクベス」でもそうなのだけれど、ヴェルディは彼自身を投影したバリトンの主役を用意した時、テノールに仕事をさせてあげない印象があります(笑)

そんなわけで、初期作品にして後期の作品にまで通じるものを多く内包する「ナブッコ」、METの上演は大いに楽しみましたよ。
…パレスチナを舞台にした「サムソンとデリラ」とか見たばかりなので、もう少し攻撃的でもいいかな、とか読替するならどの時代かなどんな設定ならいけるだろう?とか考えてしまいましたけど(笑)。

ではこれにて更新終了、ごきげんよう。


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