2017年1月5日木曜日

ジョルジュ・プレートル死去

こんにちは。千葉です。

自分の備忘ともなるのだけれど、個人としてのニュースの受け取りを書いておくことにも何か意味があるかもしれない。新年に心を入れ替えたシリーズ、悲しいお知らせから。

●追悼ジョルジュ・プレートル(1924.8.14~2017.1.4)(タワーレコード・オンラインのリリースへリンク)

自分でも書こうかと考えたけれど、すぐに見つかったこれがとてもよくまとめられた年譜で、彼のキャリアを振り返ることができます。92歳は大往生かと存じます、お疲れ様でした。合掌。

****************

2010年のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との来日公演を聴かれた方はやはりその思い出が大きいのだろうし、千葉より上の世代の皆さまであればマリア・カラスとの「カルメン」が印象深いのだろうなあ、と思います。来日公演の影響というのは受容を考える上では見逃せない大きな要素だと考えていますし、日本のレコード会社は代表盤とされるものがあればそれを執拗に売り続けてきましたから、この反応は当然といえば当然のことです。
そのどちらでもない千葉は、彼の若き日の数多くのプーランク作品の録音が強く印象に残っています。あまりにも普通なので前段の偉そうな物言いが急に恥ずかしくなってきました。なんかすみません。

冗談はそのへんまでにして。プーランク作品、彼の録音を聴くまで上手く受け取れていなかった記憶があります。良く言えば変幻自在、悪く言えば正体不明で。最初に聴いたのが「Gloria」(バーンスタインの録音)だったものだから、その後バレエ・リュスのための作品を聴いて軽妙というのかなんというのか、冗談と真摯な告白が同居しているような音楽に戸惑うばかり。いやはや、私は根が真面目なんだなあ(おい)。

だから冗談はそのへんにして(命令)。それでも仕事の関係もあってプーランク作品に当たりをつけられたほうがいい感じになったものだから(10年以上前の話です)、いろいろ調べたものですよ。フランス6人組についていろいろ調べて、結局のところ「オネゲル、いいよね」に落ちついてしまったのは誤算でしたが(おいおい)。少しでも調べればすぐ「プーランク作品はプレートルがいいよ」という評判に行き当たります。自分の中では「マリア・カラスとレコーディングした人」だから大昔の人、って認識でしたが※、確認してみれば録音はステレオだしフランスのオーケストラ他による録音だしいいかな、と思いましてモノオペラ「人間の声」と管弦楽曲集(二枚組)を買い求めて、理解したものです。「ああ、ここには冗談も真剣な話も同時にあるのだな」と。それを知的に、ある意味で冷たく腑分けするのではない、楽しさも重さも綯い交ぜに表現されたプレートルの演奏だから受け取れたものがあったのだろう、いま振り返ればそう思えます。

※これは私の悪癖なのだけれど、”歴史化”された物事に関係する人との距離感がダメだったんです。今は周辺事実の確認をしたりしてある程度の時代のイメージを作れますが、かつては全然ダメで。「ビートルズのメンバーはもう亡くなっている(くらい昔の人たちだ)」と思っていた話は前にしたことがあるような気がします…

ただ自分にはその次の機会がなかった。そこは本当に惜しまれるけれど、これはもはや取り返しの付かない話なのでこれ以上は考えまい。ブーレーズとアーノンクールの死を経て、最近ではそう考えるようになりました。録音や映像は残されたのだから、そこで彼の成し遂げたことを思う機会を作ることでその死を悼もう、と考えるわけです。
そうて振り返れば、プーランク録音に向き合ってみると当時の彼は30~40代の、若手と言える世代の指揮者だったはず(もっとも、大戦の影響で彼の上の世代があまりいなかったから、彼らの世代は比較的出世も早かったことも忘れないように)。晩年の容姿でその音楽を測るのが愚かしいことだ、というのは禿頭になってからのシベリウスを作曲家のイメージにしてしまうことで勉強済みだろうよ君。で、そんなことを考えている時に流れてきたこのTweetを見てください。


こういう感じの若い指揮者時代にカラスと共演して、プーランクに自作を任されて、と活動していたわけですよ(ちなみに、このTweetにあるとおり、昨年のピエール・ブーレーズと同日の死となったわけですが、ブーレーズも若き日には言論的喧嘩番長みたいなところがあったのを思い出しておいてもいいでしょう。人は変わるものよ←何様だ)。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで再び脚光を浴びるまでにも様々なポストで活躍し、2017年1月5日に亡くなった、その92年の生涯を想像するのは半分も生きていない自分にはまだ難しい。なにより、実演に触れられなかっらから、晩年に向けてより独特なスタイルになっていった彼の音楽を十分に受け取れている気がしない(プーランク作品の頃は非常に端正で若い演奏をされてます、ジョルジュ・プレートル。写真と演奏からは、現在のアンドレア・バッティストーニのような演奏だったのでは?なんて想像も可能ではないかなと思ったり)。

無念ではあるけれど、受け止めるしかない事実です。現実的に考えればすべての素晴らしい音楽家を聴くことができないから、と嘆くのも傲慢でしょう、だから千葉は訃報に接してまず申し上げられるのはただ一言、合掌のみ。なのです。



この動画は2009年に開催された、フェニーチェ歌劇場での演奏会から「タンホイザー」序曲とバッカナール、そしてロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲です(フェニーチェ歌劇場YouTubeチャンネルより)。いま一度、合掌。

****************

ニュースを受けての雑感なものだから、長くなってしまっていけません。このあたりもおいおい改善するよう努めますね、ということで本日はこれにて。ではまた、ごきげんよう。


0 件のコメント:

コメントを投稿